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シリーズ 学生の挑戦
北京オリンピック出場決定!シカゴの快挙を再び
練習風景
ボクシング部 川内将嗣(商学部4年)
2007年アメリカ・シカゴで行われたアマチュアボクシング世界選手権ライトウエルター級で銅メダルを獲得。日本人のメダル獲得は29年ぶりの快挙だ。この結果、北京オリンピックへの出場権を手に入れた。国内では無敵。これからは世界でその強さを証明する。
負けたくない。そのために強くなる

アメリカ・シカゴのホテルの一室で川内は時間を持て余していた。昨年10月20日から11月3日に行われたアマチュアボクシング選手権、世界の強豪を相手にトーナメントを戦っていた。減量で疲れていたせいもあり、ホテルの部屋を出ることもなく、川内は戦いの時を待っていた。

1回戦、アテネ五輪金メダリストとの対戦は、緊迫感の中で気迫を見せ勝利。その後も厳しい戦いが続いた。

佐賀県佐賀市で生まれ育ち、中学までは剣道をしていた。高校からボクシングを始める。

「剣道は適当にやっていたところもあって、負けてもあまり気にならなかったけど、高校から始めたボクシングは違っていました。負けるとすごく悔しくて、次は勝ちたいと思って、そのために練習して、いつの間にかどんどんのめり込んでいきました。」

川内がボクシングを始めたころ、テレビでは素人がプロボクサーを目指す『ガチンコファイトクラブ』が流行っていた。そのせいもあり、佐賀市総合体育館のボクシングクラブには、同じ時期に50名くらいの高校生が入部してきた。しかし、日がたつにつれ、練習についていけず、1人辞め2人辞め、結局3年間続けたのは川内を含む5名だけだった。どんなにきつい練習も、川内には楽しくて仕方がなかった。

川内のボクシングスタイルには特徴がある。普通右利きのボクサーは、左足を前に構える。川内は右利きだが、中学まで続けていた剣道の構えと同じに右足を前に出す。「剣道をやっていたせいもあって、竹刀を持ったときの感覚で、長い距離を踏み込んでパンチを撃ち込めます。タイミングも独特のものがあって、スパーリングした相手からはやりにくいと言われますね。」

高校卒業後、親と恩師山口正一監督の勧めで専修大学に進学する。

「入学前は大学では凄い選手ばかり集まって、練習も相当きついだろうと思っていたのですが、練習は結構本人の自由だったので、拍子抜けした面もありました。でも、その分、それまで言われるままにしていた練習を、どうやれば強くなるか、足りないものは何かを自分で考えてやらなければなりませんでした。」

大学時代、川内は国内では無敵を誇った。唯一の黒星は1年次11月の全日本選手権の決勝戦だった。

「負けたあの試合はよく覚えています。世界を目指している自分が国内で負けてしまったという悔しさがありましたから。それからは、もう1回国内で負けたらボクシングを辞める覚悟で戦ってきました。」

その覚悟が昨年シカゴでの快挙に繋がることになる。

恩師のボクシングが世界に通用することを証明したい

この春、大学を卒業する。

「ボクシングをもっと続けたいという思いがあったので、就職は考えませんでした。大学でアマチュアボクシングをやってきた人でも社会人になるとほとんどの選手が辞めてしまいます。だから、就職したらこの競技は終わりだと思いました。今は、将来のことよりもボクシングに打ち込みたいです。」

現在、強くなるためにベストな環境を探しているところだという。プロ入りの可能性を聞くと否定した。

「今のところ考えてないですね。プロはリングの外でのパフォーマンスなども必要になってくるので、自分はそういうのに興味はないですね。アマチュアでは純粋にボクシング技術と結果がすべてだから、そういうところが好きです。」

川内本人は有名になりたいという考えはあまりない。でも、アマチュアボクシングがもっとメジャーになればいいと願っている。

オリンピックという舞台は、普段はアマチュアボクシングに関心のない人にも広く見てもらえる。だから、オリンピック出場権を得たのは、大きな喜びだった。オリンピックでは悔いのない戦いをしたいと思う。

「優勝したカザフスタンのサピエフ選手と準決勝で戦って、痛感したのは自分が勝っているところはないということでした。日本では自分の強みだと思っていた距離とタイミングも通用しないで、ボコボコにされましたから。これから、世界を相手にしていくので、すべての部分でレベルアップしなければならないです。

でも、自分の実力がまだまだと思えるから、それがエネルギーになりますね。オリンピックや世界選手権という舞台で、僕が高校時代に指導を受けた師である山口監督のボクシングが世界に通用するということを証明したいです。」

佐賀に暮らす両親や恩師も応援してくれている。ただ、母親だけは、息子が殴り合いをする試合は見られないという。

「母には、自分は殴られるより殴る方だから心配しなくて大丈夫って言ってるんですけど、やはり試合は見られないと言っていますね(笑)。」

オリンピックでは1968年のメキシコ大会を最後に、日本人はメダルを手にしていない。シカゴに続き、北京でも快挙が期待される。

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